「ヒンドゥー・クシュ・ヒマラヤの氷河融解と水問題への取り組み:地域協力のための科学外交アプローチ」の開催報告

「国際氷河保全年2025(IYGP2025)」の立ち上げ・公式サイドイベント

 2022年12月、国連総会は2025年を「国際氷河保全年」と定め、毎年3月21日を「世界氷河デー」とすることを宣言した。このイニシアティブは氷河、雪、氷が気候システムや水循環に果たす重要な役割への理解を深めるとともに、地球の雪氷圏で進行する急激な変化が経済、社会、環境にもたらす影響について世界的な認識を高めることを目的としている。さらに、氷河の加速的な融解とその影響に対処するため、最適な対策や知見を共有し、持続可能な解決策を促進し、資金動員を促すことを目的としている。2025年1月21日には、スイス・ジュネーブとオンラインでIYGP立ち上げイベントが開催されたほか、世界各国のパートナー機関がサイドイベントを開催した。

 この機会を活用し、日本水フォーラムが事務局を務めるAPWFと国際山岳開発センター(ICIMOD)は、IYGP2025公式サイドイベントとして、「ヒンドゥー・クシュ・ヒマラヤの氷河融解と水問題への取り組み:地域協力のための科学外交アプローチ」と題したウェビナーを開催した。

 ヒンドゥー・クシュ・ヒマラヤ(HKH)地域には、ガンジス川、ブラマプトラ川、インダス川などを支える重要な氷河システムがあり、15億人以上の人々の生活を支えている。しかし、気候変動と氷河融解の加速化、極端な水災害の増加は、水の安全保障、生態系、地域の安定に深刻なリスクをもたらしており、課題に対処するためには、国境を越えた協力が不可欠である。そこで、HKH地域の氷河融解と気候変動に関する課題に対処し、HKH地域の水資源を確保するための、科学的知見に基づいた革新的で協力的なアプローチに関する議論を行った。以下に議論の結果を報告する。

APWF執行審議会副議長兼ユネスコ北京事務所長 シャバス・カーン博士による開会挨拶

 APWF執行審議会副議長兼ユネスコ北京事務所長のシャバス・カーン博士は、HKH地域の氷河融解と水の課題に対し、ICIMOD・APWF・UNESCO・ESCAPなどの機関が科学外交のアプローチを通じて協力する決意を強調した。

 カーン博士は、HKH地域が「アジアの給水塔」として重要な役割を果たしている一方、気候変動により氷河が脅威にさらされ、水不足や洪水リスク、食料安全保障の問題が深刻化する懸念を示した。これらの課題に対し、国際的かつ協調的な対応の必要性を指摘した。また、「2025年国際氷河保全年(IYGP)」は、氷河の重要性を世界的に認識し、行動を促す機会である。また、オープンサイエンス、デジタル・イノベーション、地域社会の知見を重視し、2025年から始まる「雪氷圏科学の行動の10年」に向けた科学戦略の策定に貢献することが重要であることを強調した。

ICIMOD ペマ・ギャムツォ事務局長による開会挨拶

 ICIMODのペマ・ギャムツォ事務局長は、ユネスコやAPWF、日本水フォーラムとの協力を光栄に思い、ユネスコがICIMOD設立に果たした重要な役割を強調した。

 ギャムツォ事務局長は、気候変動がもたらす水の安全保障の課題を、「多すぎる水(洪水)」「少なすぎる水(干ばつ)」の二側面に分類し、特にHKH地域への影響を共有した。この地域はアジアの主要河川の水源であり、約20億人に影響を与えるが、多くの支流が枯渇しつつある。

 また、氷河モニタリングに関する知見が不足していることを課題として挙げた。この地域には54,000の氷河があると推定されているが、そのうち包括的に監視されているのはわずか28にとどまる、また、特に危険性が高いとされる氷河湖が約200の氷河湖のうち、現在モニタリングが行われているのはわずか5つに限られており、氷河湖決壊洪水(GLOF)のリスク対応への脆弱性を浮彫りにした。ペマ事務局長は、ICIMODは、地域の能力強化、早期警報システムの改善、国間協力の促進に取り組んでおり、2025年の「国際氷河保全年」を契機にこれらの活動を強化する考えを示した。さらに、氷雪科学研究の発展と気候レジリエンス向上には、若者の参画とジェンダーの包摂が不可欠であるとし、科学外交を通じた地域協力の重要性を強調した。ICIMODは、科学とエビデンスに基づくアプローチを通じて、HKH地域の水資源管理の枠組み強化、適応戦略の策定、政策調整を推進し、持続可能な水管理と強靭なインフラ整備を促進すると述べた。

ICIMOD 戦略グループ・リーダー アルン・シュレスタ博士による基調講演

 ICIMODのアルン・シュレスタ博士には、本ウェビナーの基調講演として、HKH地域の雪氷圏の急激な変化とその深刻な影響について発表して頂いた。

主な課題

  • 氷河の消失加速
    ・過去10年間で氷河の損失が顕著に増加。
    ・将来的に、世界の平均気温が1.5度上昇することで、氷量が30-50%減少、3-4度増加すると、   氷量は最大55-75%減少の可能性。

  • 気候・水・社会の相互関係
    ・気温上昇と降雪減少が水不足や極端な洪水を悪化。
    ・HKH西部、上流域、東部流域ごとに融水の依存度が異なるため、地域・流域ごとに適した政策対応・環境管理が必要。

  • データ不足と不確実性
    ・氷河モニタリングは28か所のみで、モデルの精度に限界。
    ・永久凍土の研究が不足しており、地盤安定性への影響が不明確。

  • 気象災害と連鎖リスクの増加
    ・GLOFや鉄砲水、地すべりが増加傾向。
    ・インダス川流域は特に脆弱で、適応策の強化が急務。

  • GLOFリスクの増大
    ・潜在的に危険な氷河湖10km以内に100万人が居住。
    ・GLOFリスクは今世紀末までに3倍に増加すると予測。

HKH地域の氷河湖決壊や、他の複合的な災害の頻度と強度が増すなど、HKH地域の環境変化がもたらす影響は、水供給、エネルギー資源、農業、生物多様性に加え、地元住民の文化的・精神的な側面にまで及び、何百万人もの人々の生計を脅かす深刻な課題となっている。そのため、これらの課題に対処することは、人道的にも喫緊の課題である。

求められる対応策

  • コミュニティレベル: 人工氷河の設置、早期警報システムの強化、小規模灌漑の推進。
  • 行政レベル: 気候サービスの向上、意思決定支援システムの強化、インフラ整備。
  • 国際・HKH地域レベル: 国境を越えた情報共有や共同研究の推進。

行動の優先事項:次の3つのアプローチが不可欠

  1. 情報 – 氷雪圏の変化に関する知識の拡充。
  2. 革新 – 気候変動への適応に寄与する技術と解決策の推進。
  3. 実行 – 適応策の具体的な実践と拡大。

シュレスタ博士は、HKH地域の氷河融解は避けられない現状を踏まえ、単なる保全ではなく、適応とレジリエンスの構築を最優先すべきと強調した。科学と政策を融合させた多次元的で、協力的なアプローチが不可欠であり、HKHが抱える課題に対して今すぐ行動を起こす必要があると呼びかけた。

パネルディスカッション

 パネルディスカッションでは、HKH地域の主要河川流域に注力する専門家や、同地域に関する専門・実践的知見を有するUNESCO・ESCAPから6名のパネリストが、HKH地域における氷河融解と水資源問題の喫緊の課題について専門的視点から洞察を提供し、科学外交、地域協力、持続可能な水管理の革新的戦略等、課題と解決策について深く掘り下げる貴重な機会となった。HKH地域の複雑な課題が浮き彫りとなり、生態系と経済の将来を確保するためのHKH地域の協力、国際協力の重要性が強調された。

パキスタン Global Climate-Change Impact Studies Center エクゼクティブ・ディレクターのゴヒール博士は、まず、ヒンズークシュ・ヒマラヤ(HKH)地域における氷河融解の加速がもたらす深刻な影響について共有した。初期段階では河川流量の増加が見られるものの、「ピークウォーター現象」後は水資源が急減し、農業や水力発電、飲料水供給に深刻な影響を及ぼす。これらの課題に対応するには、科学研究、政策決定、地域社会の関与を統合したアプローチが不可欠である。HKH地域が気候変動による脅威を克服し、持続可能な未来を築くためには、協力と技術革新を推進し、大規模な適応策を実施することが求められることを強調した。

世界銀行・バングラデッシュの環境専門家ブシュラ・ニシャット博士は、共有水資源管理のためのHKH地域越境協力の重要性を強調した。気候変動により国々の水資源の相互依存が深まり、特にバングラデシュのような下流国は、上流の氷河融解による水の変動に大きく影響を受けている。乾季の水不足は農業や漁業に深刻な影響を及ぼしている。 ニジャット博士は、過去の経験から、HKH地域間のデータ共有の不足が水管理の障害となっていることを指摘した。乾季の流量変化や塩分濃度の上昇などの課題に対応するには、流域全体の包括的な管理が必要である。メコン川流域などの成功事例を参考に、HKH地域でも共同モデリングやデータ統合を進めることで、水管理の改善や気候変動の影響分析が可能になる。さらに、工学や水文学の教育カリキュラムを共同開発し、次世代の専門家が地域的視点を持って水管理に取り組む重要性を強調した。

Indian Institute of GeomagnetismのA. P. ディムリ教授は、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ(HKH)地の氷河や永久凍土、降水パターンの変化などの環境動態を把握するなど、科学的研究を深化し、リスク管理を強化する必要がある。西方擾乱や冬季モンスーンの変化が農業や水管理に影響を及ぼし、永久凍土の融解によるメタン排出やヒ素汚染といった新たな課題も発生している。気候変動の影響を理解しつつ、水資源の相互依存性を踏まえた包括的な政策の策定が、持続可能な管理とHKH地域の安定に不可欠であると強調した。

Indian Institute of Technologyのアナミカ・バルア博士は、第1に、HKH地域の公平で持続可能な水資源管理には科学、外交、ガバナンスを統合した多面的アプローチが不可欠であり、HKH各国間の恒久的な対話プラットフォームを設立し、相互の信頼を築くことが重要と強調した。 第2に、流域全体のリスク評価や適応計画を強化し、科学的視点からの協力を通じて上流・下流のつながりを考慮した持続可能な水管理を推進する必要がある。第3に、政策立案者や水資源管理者の能力向上、市民社会の関与を強調し、技術的スキルに加え、合意形成の実践手法等、ソフトスキルの両方を発展させることを求めた。

国連ESCAP災害リスク低減と情報技術局チーフのサンジェイ・スリバスタヴァ博士はHKH地域の水と気候のレジリエンス強化には、HKH地域の科学的知見に基づいた技術、工学的解決策、データーサイエンスと地理的空間技術といった3つの技術クラスタ、及びこれらの知見を総括したデータプラットフォームが必要であることを強調した。

UNESCO IHP気候変動と適応水文システム局チーフのアニル・ミシュラ博士は、ヒンドゥー・クシュ・ヒマラヤ(HKH)地域の雪氷圏研究とモニタリングの強化の必要性を強調した。特に、IPCC報告書が指摘する知見のギャップや、HKH地域に特化した包括的な評価の不足を指摘し、データ収集とモニタリングへの大規模投資の必要性を訴えた。また、科学・政策マイルストーンとして、HKH地域の氷河モニタリングネットワークの確立、氷河・積雪データの水管理政策への統合、これらの取り組みに関する国際協力の促進を提案した。

セッションのまとめ・閉会の挨拶

 ユネスコ東アジア事務所の代表であり、アジア太平洋水フォーラム副議長のカーン博士は、パネルディスカッションの閉会挨拶で、HKH地域の複雑な課題に対処するため、科学的研究と地域ならではの伝統的知識を統合したアプローチの重要性を強調した。カーン博士は、HKH地域の氷河融解、水の不安定性、生態系の劣化という相互に絡み合う問題に対処するため、以下の点を強調した。

  1. データと科学の活用: 強化されたモニタリングとAIを活用したデータ分析がHKHの越境水管理や気候変動への適応策に不可欠。
  2. 地域協力の強化: 水資源と環境への影響が越境的であるため、政策枠組みの強化が必要。
  3. 技術革新と自然ベースの解決策: 生態系の保全・回復には技術と自然ベースの手法を統合すべき。
  4. 地域住民の関与: 意思決定に地域の人々を巻き込み、能力向上を図ることが持続可能な対策につながる。

 さらに、以下の提言を行い、HKH地域の持続可能な水管理と環境保全のため、即時かつ協力的な行動の必要性を強調し、すべての関係者に提言の実行を呼びかけた。

  • 恒久的な対話プラットフォームの設立: 国や研究者、政策立案者間の継続的な協力の場を設ける。
  • 研究とインフラ投資: 気候変動に対応する研究や気候変動に対して強靭なインフラ整備を強化。
  • 教育と市民意識の向上: 気候変動への理解を深め、持続可能な実践を促進する。
  • 国際的なパートナーシップの促進: グローバルな知識とリソースを活用し、地域の対応力を強化。

セッション動画

~プログラム~

セッション紹介
朝山由美子 日本水フォーラム・APWF事務局 チーフマネージャー

開会挨拶
シャバス・カーンAPWF執行審議会副議長/ユネスコ東アジア局代表

挨拶
ペマ・ギャムツォ 国際山岳開発センター(ICIMOD)事務局長

基調講演
アルンBシュレスタICIMOD戦略グループ・リーダー

パネルディスカッション(質疑応答を含む)
パネリスト

  • ブシュラ・ニシャット 世界銀行バングラデシュ事務所 環境専門家
  • アナミカ・バルア インド工科大学グワハティ校教授
  • A.P.ディムリインド地磁気研究所所長
  • ムハンマド・アリフ・ゴヒア 世界気候変動影響研究センター(GCISC)エグゼクティブ・ディレクター(パキスタン)
  • アニール・ミシュラ ユネスコ水科学部門政府間水文計画(IHP)水文システム・気候変動・適応課長
  • サンジェイ スリバスタバ ESCAP災害リスク軽減チーフ

モデレーター
ファイサル・M.カマー、ICIMOD 気候・環境リスク管理、雪氷圏・水リスク管理リモートセンシング・スペシャリスト

閉会の挨拶
シャバス・カーン博士

(報告者:チーフマネージャー 朝山由美子)

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