(3月21日「国際氷河の日」公式サイドイベント)
3月21日の「国際氷河の日」に開催された本ウェビナーは、2025年1月21日にアジア太平洋水フォーラム(APWF)事務局と国際総合山岳開発センター(ICIMOD)が共催した「2025年国際氷河保存年」キックオフ公式サイドイベントの議論を受けて企画しました。
前回のウェビナーでは、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ(HKH)地域における氷河融解が水の安全保障および地域の安定にもたらす影響について議論をし、科学、技術、そして持続可能な未来に向けた国際協力の必要性を強調しました。
今回のウェビナー「地域的解決策に向けて:HKH地域における氷河融解、水問題と科学外交」では、以下の4つの柱に焦点を当て、より実践的な議論を行いました:
- HKH地域における雪氷圏と水資源の理解の深化
- 国境を越えた水管理を支える地域協力と科学外交の推進
- 実行可能な地域的解決策の提案
- 短期・中期的な実用的戦略の策定
開会挨拶:シャバズ・カーン APWF執行審議会副議長(ユネスコ東アジア地域局長)
カーン副議長は、HKH地域における氷河融解の深刻な影響に警鐘を鳴らし、迅速かつ協調的な対応の必要性を強調しました。気候変動が農業と農民の生計、そして食料安全保障に及ぼす脅威についても言及し、科学者同士の協力と利害関係者の積極的な関与が不可欠であると述べました。
さらに、HKH地域が19億人に水を供給する「第三の極」としての極めて重要な役割を果たしていることを強調。科学外交と国際協力の強化を訴えるとともに、水の安全保障と地域の安定に資する実効性のある地域的解決策の開発において、ICIMODおよびユネスコ/APWFが果たす重要な役割を指摘しました。
また、越境水資源の管理・保全・公平な共有を実現するためには、協力と外交が不可欠であり、雪氷圏の変化、水の安全保障、地域安定との相互関連性を理解する必要があると述べました。自身の経験を振り返りながら、「協力の力は科学的発見をも上回る」と語り、以下の3点を強く訴えました。
- 短期および中期的な戦略の策定
- 各国の政治システムとの建設的関与
- 現在および将来世代のためのレジリエンス構築
最後に、APWFがアジア開発銀行(ADB)などの主要な投資機関を巻き込み、政府機関、流域機関、ICIMODのような知識機関をつなぐ上で極めて重要な役割を果たしつつあることを強調しました。
基調講演:チャン・チアンゴン博士(ICIMOD 戦略グループリーダー)
チャン博士は、HKH地域における雪氷圏の急速な損失に対し強い警鐘を鳴らしました。この変化は水資源にとどまらず、地域全体の安定と人々の生活に深刻な影響を及ぼすと強調しました。
■ 氷河融解の現状と影響
- HKH地域の総水量は約10,000km³で、そのうち氷河が8,855km³を占めている。
- 同地域では、地球平均の約2倍の速さで温暖化が進行しており、氷河融解の加速、降水パターンの変化、水不足の深刻化が進行。
- 今後気温が3〜4℃上昇すれば、今世紀末までに氷の最大75%が失われる恐れがある。
■ 融解によるリスクの拡大
- インダス川流域では、流量の最大50%が氷河由来であり、2050〜2060年にピークを迎える可能性がある。
- 2050年までに水需要が供給を上回ると予測されており、特にインフラ未整備の地域では水危機が深刻化する見込み。
- 氷河湖決壊洪水(GLOF)の頻度・強度が増加し、人的・物的被害のリスクが高まっている。
- 例:2007年に正常稼働していた水力発電所が、2019年のGLOFにより甚大な被害を受けた。
- 今後数十年でGLOFのリスクが3倍に増加するとの予測もある。
■ 今後の対応:4層の協調的アプローチ
氷河融解の影響に対し、以下の4つのレベルで多層的かつ連携的な対応が必要。
- 地域社会レベル:洪水早期警報システムの整備・導入
- 国家・自治体レベル:インフラリスクを予測するための気候サービスや洪水予測ツールの活用
- 地域レベル:利害関係者の協力を促進するマルチステークホルダー・プラットフォームの設立
- 国際レベル:HKH地域におけるレジリエンス強化への持続的な投資の促進
チャン博士は、雪氷圏の縮小による「水の過剰と不足」という極端な変化への対応は待ったなしであるとし、「手遅れになる前に、即時かつ継続的な協力が不可欠」であると強く訴えました。
ビデオ紹介:ICIMOD「Confluence」プロジェクト
本ウェビナーでは、ICIMODの若手クリエイター育成イニシアチブ「Confluence」についても紹介しました。このプロジェクトは、HKH地域における10の越境河川を舞台に、若手映画製作者がそれぞれの地域の現状や課題を記録・発信するものです。
今回紹介した第1弾映像では、パキスタンの若手映画製作者が、インダス川下流域での水不足や農業・生活への影響を描きました。
本プロジェクトは、科学的事実だけでなく、人々の視点から氷河融解の影響を可視化することで、認識向上と共感の醸成を目指しています。
パネルディスカッション
モデレーター:ファイサル・M・カメール博士(ICIMOD Resilient River Intervention Manager)
【質問1】シャバズ・カーン博士への質問
Q. ユネスコの水文学プログラムは、地域協力にどのように貢献してきたか?
- 地域協力は困難ながらも不可欠であり、ユネスコは「政府間水文学計画(IHP)」を通じて科学者同士の連携を促進し、科学と政策の橋渡しを行ってきた。
- 国連内では、WMOとの協働を通じて、科学的知見と政策形成を結びつける仕組みを推進。
- 「環境・生命・政策のための水文学」プログラムでは、科学者・政策立案者・法律家の対話を促進し、協力枠組みを構築。
- 地域協力は「ボトムアップ(科学から政策へ)」と「トップダウン(政策から社会へ)」の両アプローチが必要。
- まずは、洪水や干ばつといった緊急課題でのデータ共有と技術協力から着手すべき。
- ユネスコチェアやセンターは、国境を越えた「科学外交」の中核的役割を担っている。
【質問2】モハマド・アシュラフ・ゴーヘル博士(パキスタン地球変動影響研究センタ長)への質問
Q. 氷河融解に備える新たな知見と、緊急に必要な行動は?
- パキスタン政府は「氷河保全とレジリエンス戦略」を策定し、脆弱性評価と具体的な適応策を明示。
- 過去10年で氷河の消失速度は65%加速しており、水資源・農業・エネルギー分野への深刻な影響が懸念されている。
- 必要な行動:
- 氷河モニタリング体制の強化
- 高地への気象観測所の増設
- リモートセンシングおよびAI技術の導入
- 環境負荷の大きい活動への規制とガバナンス強化 - この問題の性質上、単独の国では対応が不可能。
地域協力の強化、越境データ共有協定の推進、科学知見の政策反映が不可欠。 - 不可逆的な転換点に達する前の迅速な行動が求められている。
【質問3】 サンジャイ・スリヴァスタヴァ博士(ESCAP 防災とIT部長)への質問
Q. 水・気候レジリエンスを高める技術と支援体制とは?
- 高度なデータサイエンスとAIがリスク対応の鍵。
- 季節予測、影響モデリング、ディープラーニングを活用し、分野横断的なリスク評価が可能に。
- ESCAPの「リスクとレジリエンスポータル」、国立環境研究所(NIES)の「AP-PLAT」などのプラットフォームは、気象・気候データとインフラ曝露情報を統合し、レジリエンス戦略の立案を支援。
- AI技術の活用は、氷河保全やインフラ計画の効率化に貢献するデータ駆動型アプローチを可能にする。
【質問4】アルン・B・シュレスタ博士(ICIMOD上級顧問)への質問
Q. HKH地域で氷河リスクを最も受けやすい分野は何か? また、対処に向けた優先行動は?
- 氷河融解は、水、エネルギー、食料の3大安全保障の全てに影響を及ぼしている。
- 特に以下の分野が深刻な影響を受ける:
- 農業:雪氷からの灌漑水の減少による作付け不安定化
- 水力発電:流量の不確実性、洪水・GLOFによるインフラ被害
- 居住地・都市部:水資源競合、災害リスクの増加 - 「山の上流域での危機」が、「下流域の人口密集地域での社会的・経済的損失」に直結している。
- 対処に向けた優先行動:
- 科学的なリスク評価の拡充と共有
- 予測可能性の向上:早期警報と水の需給モデリングの強化
- 政策立案支援:科学と政策の橋渡しを強化し、証拠に基づく意思決定を後押し
- レジリエンス投資:特に下流の脆弱コミュニティ向けの適応策を早急に展開
第二ラウンドパネルディスカッション
【質問5】 モハマド・アシュラフ・ゴーヘル博士(パキスタン地球変動影響研究センター長)への質問:
Q 進行中の氷河融解の課題を踏まえ、パキスタン地球変動影響研究センター(GCISC)は今後数年間で地域の水管理を強化するためにどのような戦略的イニシアチブを主導または支援できるか? また、どのようなパートナーシップが不可欠か?
GCISCは、先端的な水文モデリングやリモートセンシングを活用し、気候変動が氷河や河川流量に及ぼす影響の評価において重要な役割を担っている。氷河の急速な融解による地域社会への影響が深刻化する中、同センターはパキスタン気象局、水力発電開発庁、国家災害管理局などの主要機関と密接に連携している。
今後は、「氷河融解の影響を統合した水安全保障・早期行動システム」の構築を主導し、氷河モニタリング、予測モデリング、気候リスクの早期警報を統合する計画である。特に注目されるのが、「カラコルム異常現象」と呼ばれる、一部の氷河が温暖化にもかかわらず前進する現象の解明であり、GCISCはユネスコなどの国際科学機関との協力を深めている。
こうした技術的な進展に加え、越境の氷河管理に向けては、各国の政治的意思を喚起することが最大の課題である。科学的知見に基づく政策決定を促すため、各国の政策立案者との対話を強化する必要がある。
【質問6】サンジャイ・スリヴァスタヴァ博士(ESCAP 防災・IT部長)への質問:
Q HKH地域の気候レジリエンスを大幅に強化できる技術または知識プラットフォームは何か? それらを現在の水管理実践にどのように統合できるか?
第三極気候センターネットワーク(TPC)は、WMO主導の地域気候フォーラムの主要イニシアチブとして、ICIMODやESCAP、山間部における適応イニシアチブ(Adaptation at Altitude initiative)などが連携し、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ・カラコルム・パミール地域全体のレジリエンス強化に取り組んでいる。TPCでは、中国が東部、パキスタンが中央、インドが南部の気候監視を担い、各国の水文気象機関が主導的役割を果たしている。
ESCAPは、「第三極雪氷圏知識プラットフォーム」の開発を通じて、気温・降水量・積雪等のデータを統合し、データサイエンスを活用した部門間の知識ギャップの解消を目指している。今年6月には、インド気象局主催の「第三極フォーラム」が開催され、影響ベースの予測や能力開発が議論される予定である。
特に優先されるのは、複雑な地形を考慮した早期警報システムのデジタル化であり、地域住民にとって「理解しやすく、行動につながる」情報提供を目指している。
【質問7】アルン・シュレスタ博士(ICIMOD 上級顧問)への質問:
Q 「雪氷圏科学行動の10年」におけるアプローチとして、HKH地域の水・気候問題に関する地域協力を強化するには、どのような政策行動を優先すべきか? また、ICIMODはどのようにその協力を支援できるか?
国家間の「不信の悪循環」は、水協力の最大の障壁であり、断片的な研究や誤解、地政学的な緊張を引き起こしている。この悪循環を断ち切るには、科学外交を活用し、信頼構築と科学協力を促進することが不可欠である。
ICIMODは、「インダス川上流域ネットワーク」などの知識共有ネットワークを強化し、越境共同研究を支援している。現在は、同様の枠組みをガンジス・ブラマプトラ流域にも拡大している。
さらに、「リバースケープ・フレームワーク」を導入し、上流・中流・下流の相互作用を包括的に評価。インダス川から流域評価を開始し、実践的な協力枠組みの構築を目指している。
パネルディスカッションのまとめ (共通の論点)
登壇者全員が、HKH地域の氷河融解とそれに伴う水の不安定性に対し、「時間との闘い」であるという共通認識を示しました。
【共通メッセージ】
- 氷河の融解が進めば、最初は「水の過剰」(洪水)、その後は「水の不足」(干ばつ)という二重の危機に直面する。
- 危機は国境を超えるものであり、「科学・政策・地域社会」間の連携と、越境協力の枠組み強化が必要。
- 地域ごとの文脈に応じた科学的なリスク分析、データ共有、技術革新、自然に根ざした解決策(NbS)の適用が求められる。
- 若者や地域住民の声を反映しながら、地域のレジリエンスを底上げする政策と投資が不可欠。
閉会挨拶:シャバズ・カーン博士 APWF執行審議会副議長(ユネスコ東アジア地域局長)
国連システムは、SDG6(安全な水)とSDG13(気候変動対策)を中心に、貧困削減や健康促進と結びつけた地球規模の取り組みを進めている。中国科学院や一帯一路構想との協力もその一環である。
重要な優先事項としては、ユネスコやWMOが主導する氷河モニタリングの強化、氷河湖決壊洪水(GLOFs)に対する早期警報システムの整備が挙げられる。また、伝統知識や文化遺産の活用も不可欠であり、ユネスコのオープンサイエンス・イニシアチブでは、先住民の知識が気候適応に果たす役割が強調されている。
氷河は単なる自然資源ではなく、地域の精神文化や口承伝統と深く結びついた存在である。しかし、これらの価値は十分に理解されておらず、保全と統合的な政策への反映が急務である。
本セッションでは、ICIMODの統合水資源管理やGCISCによる国内機関との連携など、具体的な協力事例が紹介された。今後の課題は、科学的知見を政策へと橋渡しし、実効性ある地域協力を促進することである。科学外交の役割はこれまで以上に重要となっており、ユネスコ、ESCAP、WMO、ICIMODが連携しながら、特にパキスタンやネパールなど気候影響の大きい国々における科学ネットワークの強化が求められている。
(報告者 : チーフ・マネージャー 朝山由美子)